デモを終えて(主催者より) 4・3原発をとめろ!核事故の真相を明かせ!こどもを救え!(2011年・京都)

何人集まるのか全くわからなかった。

14時からプラカード作りのため仲間内の数人が集まり、
急いでプラカードを作る。
埼玉から大阪に避難したという男性も作業に加わってくれた。

すぐに何十枚かのプラカードができあがった。
今までいろんな運動をしてきたため層になっているプラカード。 

15時になってみると既に100人以上はゆうに集まっていた。
僕が主催者だったので最初のマイクを握る。
唐突に「今から原発を止めろ、核事故の真相を明かせ、こどもを救え」
というデモを始めるからと通行中の人に向かって話しかけた。

ずっと考えていたはずの言葉はうまく出てこなかった。
寝不足のせいもあったかもしれない。

僕の仲間が代わってくれて、それから参加しに集まってきてくれた人に
「どなたでも話したい人はどうぞ」と呼びかける。

32年前にスリーマイル島で事故が起こった時も同じ場所にたち、
「原発は危ないんだ」と言っていた人。
広島に爆弾が落ちた時、満員のバスの真ん中にいたので助かったおじいさん。

顔見知りの人。
全然知らない人。
大阪から、東京から、三重から、そして仙台から。

いろんなところから集まって来ていた。
みんな僕の呼びかけに、自主的に来てくれていた。

昨日、インターネットで調べてみると、たくさんの人が今日のデモを
ツイッターやmixi、個人のプログなどで発信してくれていた。

僕は主催者として、
集まった人ができるだけ自由に発言したり表現できるようにしたい、
とそれだけを考えていた。

16時になってデモが出発する。
出発する頃には200人以上になっていただろうか。

みな持参したものや僕らが用意したいろいろな種類のプラカードを
持っていたり、いろんな楽器を吹いたり鳴らしたり、
ハンドマイクを持参して発言したりしていた。

僕もマイクを持っていたけれど、何も頭から出てこない。
素直にそれをみんなにマイクで言うと、
一人の女性がマイクを取って発言してくれた。

その人は仙台からこどもたちを連れて逃げてきた人だった。
「みんなに逃げようって言ったけど、親戚もみんな逃げてくれなかった」
「福島の人はのんびりしていて、そして我慢強くて、
自分から『逃げる』なんて言わない。だから、せめてこどもだけでも」
「関西の人は温かくて、初めて会ったわたしたちを泊めてくれたり支えてくれた」
「京都の人もお願いです!こどもたちだけでも逃げられるように、
このデモに入ってくれませんか」
「わたしはこのデモに参加している人たちは本当にまともだと思います」
「地震は想定外だったって言うけれど、原発を反対していた人たちには、
ずっと想定内のことだったんです」
「わたしは、ずっと原発の反対運動をしてきた人たちはリスペクトしています」

チェルノブイリのこどもたちがどうなったのか、その人は知っていた。
僕がデモの中で言いたかったこと。日記で書いていたようなこと。
僕が言えない分も、それ以上のことを必死に息を切らせながら、
1時間は語りかけ続けてくれた。
この人のために僕はデモをやっているのかと思ったほどだった。

デモの列は三条から四条へ向かう時には、出発の時の倍以上に膨れ上がっていた。200mほど後ろに最後尾のパトカーが見える。真ん中でも、持参したマイクで街頭に語りかける人がいたし、音楽はところどころで鳴っていた。
デモの列と歩道が「近い」そんな気がした。

最後尾では僕の友達がサックスを吹きならし、そのまた友達がたいこを叩き、職場の仲間がディジュリジュを演奏していた。
いろんな人が様々な表現で、原発を止めようとしていた。

デモは、コースを歩き終え、そのまま市役所前の広場に集まった。
再び仙台からの人、こどもたちの母さんが僕らに語りかける。
まだアピールを終えてない人たちがそれぞれのアピールを終え、
最後に僕が決意表明をした。

「必ず原発を止めると決意すること。そして、原発を止めよう、無くそう!」
みんなから拍手が上がった。
「まだこれから次に何をしようか、まだ考えていない。
けれど、大切なのはここで集まった人がそれぞれに繋がっていくこと。
繋がっていこう。」

そう言って、デモを終えた。 

デモの様子を言葉にするのは難しい。
それが自由であればあるほど難しくなるだろう。

デモはこれからデモの形を無くしていかなくてはいけない。
路上と歩道との柵を乗り越え、
まだはっきりとは自分のことだと自覚していない
多くの人との気持ちの差を乗り越え、
それぞれの思想を越え、
僕らが手にすべき自由への道を歩めるように。

それがどんな形のものになるのか。
僕はまだそれを知らない。
けれど、夢を見る僕はそれを知っている。

デモは自由への前進だ。
それに参加すること、それに協力すること、
みんな誰かに言われたからやるのでは意味がない。
デモによって何かがなされることよりも、
デモによって、自分の意志で自由へと進むことが、
今の僕らには重要なのかもしれない。

まず、原発を自らの意志で、みんなの意志で止めよう。
そして、無くしていこう。

原発を止めても、こどもたちにはまだ
安全な世界を残してはやれないかもしれない。
だから、今は、原発を止めることと、
自由を求める姿をこどもたちに見せてあげたい。

僕らにはまだできることがたくさんあるのだから。

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