原発をとめろ!核事故の真相を明かせ!こどもを救え!デモ(第2回) 2011年5月22日(日)

【日時・場所】 2011年5月22日(日)
 14:00 三条河川敷 集合
 15:00 デモ出発~(雨天決行)
【コース】 三条大橋下(西側)→ 河原町通 → 河原町通四条を南へ一筋目で折り返し → 市役所前 解散
(※プラカードなどを持参してください)
【主催】 原始力の会 と ピースウォーク京都
【連絡先】 橋本 080-5356-2140


放射能汚染の危機はまだこれから起こってくる。
こどもたち-未来-を守らなければいけない。

浜岡原発は止まった。全ての原子炉を止めよう。
止めるために声をあげよう。繋がるためにともに歩こう。


「日本の被災ー地震と原発事故」について個人的な想い

ゴールデンウィーク中のテレビのニュースでは、 東北近辺の観光客が震災のせいで激減していると報じていた。 「震災のせいで」とは言うが、放射能汚染が怖いからとは言わない。

テレビでは福島原発の報道がめっきり減ったように思う。 あの地震以前と比べれば、毎日毎日、放射能は原発から漏れ出ている。 いや、もはや、漏れているという言葉が当てはまらない。

いまだ福島原発は危険という言葉では足りないほど危険な状態にある。 10年、20年後に「あれは破滅だったのだ」と嘆かなければならないのだろうか。 政府は、隠しようもないことを隠そうとし、 逃れられようのないことから逃れようとし、でき得ることをしようとしない。

5月2日から6日にかけて 「ゴー!ゴー!ワクワクキャンプ」というキャンプに参加していた。 福島近辺のこどもたちを少しでも放射能の被曝から遠ざけるため、 東北の人との繋がりを作るため、逃げられないわけではないと思ってほしくて、 そんな趣旨で行われたキャンプだった。

外に出られない。外で遊べない。外に出るときには、マスク、カッパ、手袋。 こどもたちは京都に来て、たくさんたくさん遊んだ。 たくさん一緒に笑ったし、みんなでご飯を食べた。 素直でかわいいこどもたちだった。

けれど、こどもたちはまた自分たちの家に帰ってしまった。 年間20ミリシーベルトまで「安全」とされる土地へ。

東北では「放射能は怖くない」というようなキャンペーンがなされている。 インターネットらを使い自分から情報を得ようとする人と、 テレビしか見ない人とでは放射能に対する感覚がまるで違ってくる。 多くの人が何の対処もしないまま、平気で出歩いたり、生活している。 駅前でも高い放射線が測定されているのに。

放射能に対して、人による温度差が激しい。 こどもたちも学校では大きな声で言えない。 農村では「これはうちのばあちゃんが作ったホウレンソウだ」と言われて いただいたりする、山菜をおすそ分けしてもらったりする。 後でこどもが、「家で食べたか」と聞かれる。 仕方なしに「大人たちで食べたと答えておいて」とこどもたちに言う。 周りに安全な水を飲むことを勧めると、 まるであやしい宗教への勧誘を行っているように受け取られる。 地域がバラバラになっていることを感じるとこどもたちのお母さんは言った。

先祖代々受け継いだ土地を離れたくないと老人が言う。 経済的に不安だと大人たちが言う。 こどもたちだって、友達や大事にしている生活がある。 けれども、放射線の値は大きいのだ。 いまだに原発は危機を全く脱してはいないのだ。

政府は「復興」ばかりを口にする。 なぜだろう。まだ危険な土地で、夏には南からの風が吹く土地で、 なぜ、今、復興なのだろう。 地震や津波の被害を受けた人たちが、早く復興したいという気持ちはわかる。 でも、まだ全く安全になったわけではないのだ。

法律で決められた基準値は年間1ミリシーベルト。 それでも確率的には、10万人に5人はガンになる恐れがある値。 それが20ミリシーベルトに引き上げられた土地なのだ。

僕はこどもたちに会った。こどもたちのお母さんに会った。 これは現実に今、起こっていること。 目の前にいたこどもたちの身に起こっていること。 わずか数百キロ離れただけの土地で起こっていること。

政府は動かない。 なぜヨウ素やセシウムばかりが報道されるのか。 原子力安全委員会によって作成され、 2008年に改定された「環境モニタリング指針」に、 原発敷地外の超ウラン元素は測る必要がないと書いてある。 ヨウ素やセシウムと同じく、 放射性物質であるうちのウランに中性子を当てたときに出てくる プルトニウムやアメリシウム、キュリウムなどは測る必要がないと。

飛散していないのではなく、測っていない可能性があるということ。 比較的重たい物質である超ウラン元素は、遠くに飛ばないから大丈夫と言っている。 一方、ハワイでは通常時の数倍~数十倍の値でプルトニウムが検出されたという。

政府は、3月11日からの10日間ほどで、チェルノブイリ事故での 10分の1の放射能が福島原発から出ていたことを一月も経ってから公表した。 では、今、その後、何がどれくらい出たのかをいつ言うのだろうか。

逃げてほしい。 たくさんの想いがそこにあることも、たくさんの無理があるのも承知の上で。 10年、20年経ったとき、ガンになるこどもたちを少しでも見たくない。 1ミリたりとも放射能を浴びたいと思う人がいるだろうか。

逃がしたい。 少しでも多くの人が逃げられる土台を作りたい。 政府が動かないなら、たくさんの人が集まってその場を作れないだろうか。 せめてこどもたちだけでも、まとまって避難できる先を作ってはいけないだろうか。

放射能は怖いと思う人、原発は危ないと思う人は、少しでも声をあげてほしい。 気持ちを同じくしている人と繋がっていってほしい。 そして、今、一番、被曝の危険に晒されている人たちと繋がってほしい。

今、その危険をそのままにすることは、 やがて日本中の人が同じく危険に晒されることを意味すると思う。 原発はまだ18基も動いている。

原発は電力の問題ではない。 必要な電力は原発がなくても、すぐにでも間に合うようにできるだろう。 原発は、あの原爆と同じものがもとになっている。 必ず誰かが被曝する。 僕は被曝したくない。僕は被曝させたくない。

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