中村哲さん講演会2005 アフガニスタンからの報告・平和の運河を拓くⅡ

【日時】 2005年12月10日(土)開場13:30 開演14:00
【場所】 京都ノートルダム女子大学ユニソン会館(地下鉄「北山駅」1番出口より徒歩5分)
【入場無料】
【主催】 ピースウォーク京都 【後援】 京都ノートルダム女子大学

※車椅子でのアクセス可能。※駐車場はありません
※当日入場者からのカンパはすべて、ペシャワール会に送らせていただきます。


「平和の運河を拓く」 中村哲さんとペシャワール会

「誰も行かないところに行く 他人がやりたがらないことをやる」
中村医師はアフガン戦争と内戦の渦中で、ハンセン病医療を柱にパキスタン・アフガニスタンの無医療地区の診療体制を現地の人々とともに切り拓いてきました。ペシャワール会は中村医師の医療活動を支援する目的で結成され1984年より現地活動を開始しました。
現在パキスタン北西辺境州、アフガニスタンに1病棟と2診療所(閉鎖1、アフガン政府へ委譲1)を運営して、年間13万人(2004年度)の患者診療を行っています。

加えて2000年夏より、戦乱についで今世紀最悪の干ばつに見舞われたアフガニスタンの村々で、水源(井戸、カレーズ)確保作業を行ってきました。ペシャワール会の活動が広く知られるようになったのは、2001年10月に突如として米英軍が行った「9・11報復」の軍事攻撃によります。
それまで、何百万もの人々が飢餓にさらされる干ばつにも無関心であった私たちは、アフガニスタンで営々と継続されてきたペシャワール会の、命を救うための活動に大きな衝撃を受けたのです。

アフガニスタンへの空襲の中、ペシャワール会は緊急食糧援助を行い、全国の心ある人々が基金を寄せました。このときに寄せられた「アフガンいのちの基金」を元に医療事業、水源確保事業、農業計画から成る「緑の大地計画」を継続し、2003年3月より長期的な灌漑計画を始めました。米軍ヘリからの攻撃を受けながら、今年3月にはクナール河からの灌漑用水が一部開通し、困難な状況の中で、現地の人々とともに、土地と命に根ざした活動を展開しています。これを日本では約12000人のペシャワール会会員が支えています。


ピースウォーク京都が、今、中村哲さんを迎えるにあたって

4年前の冬、米英軍によるアフガニスタンへの空襲のさなか、京都では中村哲さんの現地からの報告に2000人を超える人たちが集い、「本当の事を知りたい、自分にできることは何か」という思いで耳を傾けました。これに続き、’02年7月、’03年8月、’04年10月と、中村さんを招き、メディアから消え去ったアフガニスタンの人々の現実と、命を支えつづけるペシャワール会の活動を伝えていただきました。

ピースウォーク京都は3年前、暴力の連鎖を断ち切りたい、今こそ平和を、自分の声で一人の歩みから始めるために生まれ、町を歩いてきました。
その中で、これまでも戦乱や飢餓の中で毎日死んでいくたくさんの人々を無視して自分たちの暮らしが成り立っていたことに気づき、「日本は平和だ」という幻を疑うようになりました。

今、日本の社会は「戦争をする国」へと歯止めを失ったかのように雪崩れ込み、私たち自身の尊厳が危機にさらされています。
世界が巨大な暴力の渦に飲み込まれたこの3年間、ペシャワール会はその姿勢を変えることなく「実事業を持って平和に与す」ために活動しつづけてきました。現在、「医療NGOというよりは、1000人以上の職員・労働者を抱える土木公団の様相を呈してきた」といいます。
けっして奢ることなく「一隅に灯をともす」と継続された中村さんとペシャワール会の活動は、私たちにとっても「平和への願いをあきらめない」希望の灯でもあります。

この暗澹とした世界情勢の中、黙々と、命を繋げていくために必要な活動を続けている中村哲さんを迎え、私たちの手で平和の運河を切り開くための何かをお話の中から見つけたいと思います。


中村哲 氏 略歴

ペシャワール会現地代表。PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。
1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒。専門=神経内科(現地では内科・外科もこなす)。
国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都のペシャワールに赴任。ハンセン病を中心としたアフガン難民の診療に携り現在に至る。著書に『医者井戸を掘る』(石風社)など、多数ある。


※「中村哲さん講演録 平和の井戸を掘る」大好評、発売中!中村哲さんのお墨付きです!
定価:700円  B6変形版(ソフトカバー)200頁
編集・協力:ピースウォーク京都
協力:ペシャワール会、石風社

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